十日町紬について教えてください。
雪国という環境で育まれたきもの
十日町紬は、新潟県十日町市やコシヒカリでも有名な中魚沼郡津南町周辺でつくられている絹織物で、その歴史は古く、飛鳥・天平の時代にまで遡ります。十日町は、世界にも類を見ない豪雪地帯で、冬には毎年2mもの雪が降り積もるんですよ。冬場は農作業ができないため、昔から家内で織物を生業としながら暮らしてきました。雪により湿度が高く保たれ、盆地という地形も織物に適した環境で、古くは苧麻(ちょま)を素材とした麻布の生産が盛んに行われていました。今のように絹織物がつくられるようになったのは、主に明治時代以降と言われています。そして戦後、昭和30年代後半くらいからは、先染めの「紬」のみならず、十日町「友禅」といった「後染め」のきものの生産なども増え、十日町は、染め・織りどちらも手掛ける、総合きものさんちとして発展し、京都に次ぐ、きものの一大さんちとなりました。そのような中、蕪重織物は、昔から伝わる十日町紬の技術を受け継ぎ、護りながら、ものづくりをしています。
ものづくりの「こだわり」は?
きものはあくまで「着る人」が主役。
だから着物自体には盛り込みすぎないように心掛けています。
昔は、ものづくりに携わる人間として、いっぱい技術を詰め込んで、ものすごいものを作ろうとしたこともありました。しかし、着物はそれ自体がどんなに華やかなものであろうが、帯をして帯締め・帯揚げを合わせ、「着て」はじめて形になるもの。だから、着物自体は、そんなに主張しなくて良いと、私は思っています。あくまで「着る人」が主役なのですから。
もちろん、綺麗なもの・素敵なものを作ろう!とは思っているのですが、その綺麗さを見つけてくださるのは、作り手ではなく、生活の中で着てくださる方々など、周りの人たちであって、着物は、そうした暮らしの中で輝くものです。ですから、私は常に「盛り込みすぎない・やりすぎない」ように心掛け、着る人の魅力を引き立てるようなものづくりに拘っています。
糸が巻かれている芯は、雨どいに使われる筒を蕪木さんが一つ一つ切って作った自作のもの。
より良いものづくりのために、道具も自作しています。