さんち大辞典 [ ゆ ]
結城紬

YUKI TSUMUGI

着物ファンを魅了する真綿をつかった絹織物/反物「結城紬」とは

 古代より豊かな農業地域として栄えてきた茨城県結城地方。関東平野を流れる鬼怒川沿いであったこともあり、肥沃な土地を生かした養蚕業が盛んでした。このような風土に恵まれ、「結城紬」は生まれました。その歴史は古く、奈良時代にまで遡ります。結城紬は多くの文化人にも愛され、幸田文や白洲正子の作品などにも登場。結城紬を語る上で欠かせないものが「真綿」。やわらかく、空気をたくさん含む真綿は、あたたかく心地の良い感触が魅力で、その風合いは人々を引きつけてやみません。また、製作工程自体も高く評価されており、古来より脈々と受け継がれてきた「糸つむぎ・絣くくり・地機織り」の工程技法は本場結城紬として1956年、国の重要無形文化財に指定されました。ますます希少価値も高まり、高級品として遠い存在となっていく一方、産地の技術革新と努力により、真綿の風合いの良さを活かし、製作工程を試行錯誤しながら効率化することで、より身近に、よりお求めやすくアップデートされた「結城紬」へと進化し続けています。

結城紬の魅力

  • 軽くて暖かく、しなやかな風合い

  • 着るほどに味わいが増す、育てる着物

  • 年代問わず着られる、一生モノの着物

<Index>

「真綿」のおはなし

真綿のぬくもり

 「真綿」とは、繭をお湯で煮て柔らかくし、引き伸ばして綿状にした物を指します。ふわりと軽くて柔らかく、たくさんの空気を含み保温性に富んでいるので、昔の人々は、この真綿を首に巻いたり、半纏に入れたりなどして、寒さから身を守る道具として使用していました。尚、結城紬一反を製作するには、約二千個もの繭が必要とされています。

美しい着姿を生む「糸」の秘密

 結城紬は、経(タテ)糸・緯(ヨコ)糸、共に真綿から引き出された糸を使用しています。これが結城紬独自の風合いの良さを生む最大の秘密です。本場結城紬は、真綿から手で引いた糸を100%使い創作します。一方、結城紬は、人の手に加え動力を用いて引いた糸を使い創作しています。(真綿動力引糸)
 尚、織る際に、少しでも切れにくくするため、丈夫で太い糸を経(タテ)糸に、織りの密度を高める為に細い糸を緯(ヨコ)糸に使用しています。経(タテ)糸に太い糸を使用することにより、着装時に縦のラインが強調され、美しい着姿が生まれます。

真綿の原料となる繭

繭からつくる真綿

真綿からつくった糸

着るほどに・洗うほどに、真綿本来の味わいが増す結城紬

〔結城の里帰り- 湯通し-〕

小麦粉糊を落として「ええあんばい」に

 「湯通し」とは読んで字のごとく、織りの際に糸を補強するためにつけられたうどん粉糊を落とすため、反物をお湯にくぐらせる工程です。作業は一反ずつ手仕事。糊の量は機屋ごとに異なり、季節によっても違うため、職人の手の感覚を頼りに落とし加減を変え、結城紬本来の姿である真綿により近い風合いに戻していきます。
湯通しの後は天日干しをし、テンターという機械で巾の調整をした後に、反物の仕上がりを検査する「検反」が行われます。「結城紬の里帰り」ともいわれる産地での湯通しにより、着物を着るときには最高の状態を味わえるのです。

着るほどに、身体に馴染んでいく着物

 結城紬には、着ていることを忘れてしまうような着心地の良さがあります。真綿糸ゆえに毛羽立ちが生まれますが、それが人の身体にフィットし、毛羽の摩擦により着崩れしにくくなるのです。また、弾力性に優れ、一晩干しておくだけでしわが伸びるので、旅行着としても適しています。

 機械文明の中で生まれた製品は、使うほどに古くなっていきますが、日本古来の手作りで作られた結城紬のような日本の織物は、使うことで人に馴染み、良さがにじみ出てきます。

こぼれ話「絹」なのに、なぜ「真綿」なの?

 絹なのになぜ真綿は「綿」という字を使っているの?と不思議に思ったことがありませんか?一言でいえば、絹よりも木綿が日本に伝来するのが遅かったからです。木綿が伝来したのは奈良時代後半といわれており、養蚕の方が歴史が古いことに由来します。飛鳥・奈良時代以降、養蚕が盛んになると、生糸になれない屑繭(くずまゆ)が出てきます。捨てるにはもったいないので、その屑繭からとった糸等を着物や布団の中棉(なかわた)として使っていたといわれています。木綿が存在しなかった昔は、このような絹のことを、棉(わた)と呼んでいましたが、綿が伝来し、世の中に広まってからは、絹と綿を差別化するために、絹を「真綿」、綿をそのまま「綿」と呼ぶようになったとのことです。ちなみに真綿と木綿の呼び名の差は明治以降との話もあり、諸説あります。

さんち <茨城県 結城市、常総市>

鬼怒川(衣川・絹川)の肥沃な土壌に育まれた絹織物

 茨城県は全国3位の農業県。実は、メロンや鶏卵、栗、レンコン、ピーマンなど、生産量日本一を誇る食品がたくさんあります。そんな茨城県の結城地方では、関東平野をゆったりと流れる鬼怒川があったことにより、肥沃な土壌を活かした養蚕業が古くから盛んでした。

 江戸時代の始めには「衣川」「絹川」の字があてられていたそうですが、幾度もの氾濫により「鬼怒川」と呼ばれるようになったそうです。

養蚕・農業の神様を祀った「大桑神社」

 大桑神社は、古代、東国に養蚕・織物を伝えたとされる阿波斎部が、養蚕・農業の神である稚産霊尊(わかむすびのみこと)を祭神として創建されたのがはじまりと言われています。境内でひときわ目を引くケヤキの木は、樹齢350年以上と推定され天然記念物に指定されています。

歴史と伝統の城下町「結城」

 鎌倉幕府が開かれるころ、結城地方を勢力下にしていたのは、豪族の小山政光。1183年、源頼朝が関東の反勢力を倒し、小山政光の子である朝光(ともみつ)ら3兄弟に領地が与えられました。以降、城下町として発展してきたこの地には、繫栄の軌跡を物語るかのように、今も多くの伝統産業が残されています。

 結城の伝統産業は、結城紬を代表としながら、他にも、桐下駄や酒造り、味噌づくりなども有名です。中でも桐下駄は、江戸中期より作られており、美しい木目と光沢、通気性と肌ざわりの良さで多くの人々を魅了しています。結城の桐下駄は、昭和33年に茨城県伝統工芸品に指定されました。

結城紬の歴史

2000年の歴史 結城紬のルーツ

結城紬の歴史は古く、今から約2000年も昔まで遡ります。鬼怒川が流れるこの地では、古代より養蚕や農業が盛んだったと言われています。結城紬のルーツとして定説となっているのは、美濃から茨城の久慈郡に移り住んだ多屋命 (おおねのみこと)という人が織物を始めたとされています。その織物は長幡部絁 (ながはたべのあしぎぬ)と呼ばれています。この「あしぎぬ」の一部が、奈良時代中期、常陸国から朝廷に献上されたものとして、東大寺正倉院に大切に保管されています。この織物が、結城紬のルーツと言われています。

日本最古の和歌集「万葉集東歌」にも登場しています。

筑波嶺つくばねの 新桑繭にいぐはまゆの きぬはあれど 君が御衣みけ あやに着欲しも

筑波山に新しく萌え出た桑の葉で育つ桑の繭糸でつくった着物は素敵だけど、あなた様の着物を私は着てみたい、といった意味で、愛を告白した歌にも登場していた織物。

質実剛健な武士に好まれた結城紬

 常陸国から献上された「あしぎぬ」は、いつしか「常陸紬」と呼ばれ、鎌倉武士や、鎌倉時代から江戸時代までこの地を統治した結城家など、質素を尊ぶ武家に好まれました。後に、領主 結城家の名をとって「結城紬」と呼ばれるようになりました。
 江戸時代には、「結城紬」として流通しており、織りあがった反物は、鬼怒川の水路で江戸の街へと運ばれていたそうです。江戸当時の結城紬は男物が主流で、旦那衆や武士などに好まれ、江戸の「粋」を支えてたと言われます。江戸中期に出版された当時の百科事典と言われる『和漢三才図会』には、結城紬が「最上品の紬」として紹介されています。

絣の誕生、亀甲絣による柄表現のはじまり

 江戸末期になると、絣の技術が結城にも伝わりました。明治時代に入り、今では結城紬を代表する柄「亀甲柄」の原型が誕生します。江戸時代には、男物中心であった結城紬も、様々な柄表現ができるようになると、女性のおしゃれ着として進化していきました。明治後期には、もともと平織のみだった結城紬に、縮織の技術が取り入れられ、縮織が隆盛を極めました。

亀の甲羅に由来する長寿吉祥の柄

結城市内あちこちにある隠れ亀甲

世界に誇る技 本場結城紬

1956年(昭和31年)、古来より代々受け継がれてきた本場結城紬の「糸つむぎ・絣くくり・地機織り」3つの工程が、国の重要無形文化財に指定されました。さらに、2010年(平成22年)には、世界的にも守っていくべき貴重な技として、ユネスコ無形文化遺産にも登録されました。

重要無形文化財指定 本場結城紬 3つの技法
糸つむぎ

つくしと呼ばれる棒状の道具に真綿を巻きつけ、真綿から指先で撚りをかけずに糸を引き出します。

絣くくり

図案に添って柄となる絣部分が染まらないよう、綿の糸で1点1点縛って防染する技。

地機織り

原始的な機で、経糸の端を織り手の腰に巻きつけて張り具合を調整する、大変体に負担がかかる技法。

結城紬の進化・技術革新

結城紬最大の魅力「真綿の風合い」を活かした結城紬

 国の重要無形文化財に指定された「糸つむぎ・絣くくり・地機織り」の工程は、1点織りあげるのに相当な時間を要します。更には後継者不足・従事者の減少も相まって、本場結城紬は高級絹織物として価格も高騰していき、中々手にすることの出来ない遠い存在へとなっていきました。
 こうした流れの中、「軽くて、あたたかく、着心地がよい」真綿の良さを最大限に活かしながらも、より効率化させることで、一人でも多くの人に、より身近に、よりお求めやすく提供できないものか、と結城産地のチャレンジが始まりました。こうして生まれた真綿の紬は、「結城紬」として製品化され、重要無形文化財指定のものを「本場結城紬」と呼ぶことで温故知新のものづくりをしています。

本場結城紬の流れをくみアップデートされた結城紬

真綿動力引糸まわたどうりょくひきいと…真綿のぬくもり、風合いを最大限に活かした糸を使用

 本場結城紬では、つくしという道具に真綿をかけ、指先で唾をつけながら撚りをかけずに糸を引き出していきます。1反分の糸を紡ぐには、2~3カ月かかるとも言われます。産地では、この「真綿」の風合いにこだわり、技術革新を模索しました。試行錯誤を繰り返した結果、従来通り、真綿を使用しながら、動力を併用することで、真綿の温かさ・風合いを損なうことなく真綿動力引糸をつくることに成功しました。
 更には、撚りがなく切れやすかった従来の真綿糸に生糸を絡めることで、経糸を機織り機にかけた際、切れにくくなるよう、更に工夫が重ねられました。

絣つくり絣くくり・直接染色法・型紙手捺染染色法の導入

結城紬の柄を構成する絣(点)は、設計図案を基に、大きく3つの方法で作られています。

<絣くくり>
絣にする部分を木綿の糸で括り、防染します。糸全体を染めた後、縛ってある木綿の糸を外すと、括ってある部分が染まらずに白い絣が出来上がります。

<直接染色法>
絣となる部分に直接染料を摺り込んでいく方法です。淡い地色に濃い絣を表現する際などに用いられます。やり直しの出来ない、集中力と熟練の技が必要とされます。

<型紙手捺染染色法>
一反分の糸を台に延べ、型紙を置いた上から染料を流し、染めていきます。ここで使用する型紙も結城産地で手彫りでつくっていますが、型紙職人は85歳の方お一人のみだそうです。

こうして作られた細かな絣を合わせていくことで、反物に繊細な柄が浮かび上がります。

絣手合動力機かすりてあわせどうりょくばた…絣合わせは手で行いながらも動力を用いて生産効率向上

 重要無形文化財指定の本場結城紬では、地機とよばれる原始的な織機を用いて、経糸を腰に結びつけ、腰の力で張り具合を調節しながら織られていきます。体全体を使って織る重労働のため、自分の羽を1本づつ抜いて美しい反物を織りあげていく「鶴の恩返し」の民話にも例えられています。

 生産効率を向上させるべく、動力機を導入するにも、他の綿や絹織物とは違い、経糸・緯糸共に繊細な真綿糸を使用する結城紬の織りはデリケートで、熟練の人の手を介さないと良い製品にはなりません。織工さんは、経糸の絣と、緯糸の絣を手で合わせながら織りあげていく必要があります。また、経糸に真綿糸特有の「フシ」があると、織りの際に経糸が切れてしまう恐れもあるため、ピンセットでフシを外したりと、大変な手作業を伴います。

 この動力機を導入したことにより、結城紬の柄表現も格段に広がりました。かつては無地・縞、そして単色の絣模様からはじまり、亀甲絣とデザインも広がりましたが、今では、多色の絣を用いた柄や、細かい曲線など、複雑な柄も表現できるようになり、結城紬のファッション性が高まりました。

さんちとやまとで共同開発した独自の技術で、美しいグラデーション表現を実現

 結城紬のさんちと、私たちやまとが共に生み出した独自の技術があります。それは、「間差し込み技法」。異なる色の経糸を本数の割合を調整して並べ替えることで、染めたかのように美しいグラデーションを表現する技術です。結城紬の経糸は全部で1360本あり、1本1本、図案に沿って糸を筬に通していく作業は、かなりの集中力と根気を要します。
 「こんな細かな作業をするのは、夜、誰も人がいない中でやるのがいいんだよ」と語る中川啓さん(69歳)。この間差し込み技法が出来るのは、中川さん含めてたった2人しかいないそうです。
 こうした弛まぬ創意工夫と努力で、結城紬のデザイン性・ファッション性も高まり、カジュアルシーンを素敵に彩る絹織物として、多くの方々に好評を得ています。

<間差し込み技法>
異なる色の糸の配列密度を変えることで、自然なグラデーションを表現

さんちの新たなものづくり 暮らしと共に。

 高級絹織物として知られる結城紬ですが、真綿本来のぬくもり、しなやかさ、をもっと身近に、日常に、との想いで、今では着物の反物だけではなく、真綿をつかったショールなどのファブリックアイテムにも手掛けています。和装の機会も少なく、洋装が主流となった現代においても日常的に、結城の真綿のぬくもりに触れることが出来ます。

<結城真綿ショール>

真綿ショールは、自然素材の絹100%の真綿動力引糸を使用。真綿は暖かで丈夫な、蒸れにくい素材。
湯通し済みなので、肌馴染みがよく、優しいぬくもりを感じていただけます。

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経糸を張り型紙手捺染染色法の準備

趣のある年季の入った工場

適度に張られた経糸

緯糸をシャトルに用意する古い機械

絣部分が墨付けされた美しい経糸

緯糸の絣を経糸と手で合わせる機織り

絣模様となる部分に墨付けしていきます

のどかに広がる田園風景

50年以上稼働している自動織機

細かいところは虫眼鏡で

根気と集中力を要する間差し込み技法

チェックしながらゆっくり織り進めます

経糸のフシは織る前に取り除きます

束になった緯糸を1本づつ手で分けます

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