都内から約1時間半、つくばエクスプレスの守谷駅で乗り換え、1両編成の関東鉄道常総線で「石下駅」へ。車窓からは一面に広がる田園風景、そしてその先には私たちを見守るかのように雄大にそびえる筑波山。ローカル線の心地よいディーゼル音が、道中 気持ちを高めてくれます。ほどなくすると石下駅に到着。茨城県結城郡石下地区(現 常総市)、2015年9月、鬼怒川の大氾濫で甚大な被害を受けたこの地も、今では日常を取り戻し、タイムスリップしたかのように穏やかで優しい空気に溢れていました。
<さんちで出逢った ぬくい人々>
結城紬への愛情溢れる機屋(はたや)の
小林茂博さん(68歳)
私たちを迎えにきてくださった小林さん。明治20年頃より代々、この地で結城紬の機屋を営んでいらっしゃる老舗の5代目。機屋とは、染める人・織る人など創作に関わる様々な人々をつなぐ、言うなればプロデューサー的存在。「ようこそ、結城の里へ」と温かく迎えてくれた小林さんの、優しく結城紬について語る口調は、着物への情熱を帯び、愛情が溢れ出ていました。
小林さんの工場へ向かう途中、まず初めに立ち寄ったのが、関東平野をゆったりと流れる鬼怒川。「織りも染めも、豊かな水がないと出来ない」と言われるように、古来より結城紬を育んだ母なる鬼怒川。江戸時代のはじめには、「絹川」「衣川」の字があてられていましたが、幾度もの氾濫より、現在の「鬼怒川」と呼ばれるようになったそうです。すすきが美しく風にたなびく鬼怒川をあとにし、一路 小林さんの工場へ。
工場に着くと、どこからともなく、カシャカシャと織物を織る音が聞こえてきました。いくつかある社屋の中で、まず訪れたのは、25mプールくらいの長さがある細長い平屋建ての「捺染(なっせん)工場」でした。
この道50年、厳しくも温かく真摯に
「染め」と向き合う 中川主計さん(69歳)
工場に入るなりまず目に飛び込んできたのが、R型に湾曲した台に整然と張られた経(タテ)糸。「真綿は “生きもの” だから扱いが大変なんです…」と小林さん。結城紬は、経糸・緯(ヨコ)糸共に、繭を煮出してつくった真綿から紡ぎだした糸を使用しています。真綿の糸自体は強度が低く、フシがあったり、手が荒れていると引っ掛かって切れたり、と扱いはデリケート。R型に湾曲した台に木綿の布を敷き、その上に経糸をのせることで糸が落ち着くとのこと。
柄になる部分(絣)が染まらないよう、型紙を用いて黙々と糊をふせていくのは、この道 50年のベテラン、中川さん。趣味はヘラブナ釣りだそうです。寡黙に作業するその眼差しは鋭くも温かく、糸と語らっているかのよう。染めの工程は、やり直しが出来ず、集中力と熟練の技が必要とされる高度な技術。染めに用いられる型紙も結城さんち内で手彫りで作られていますが、この型紙作りの職人さんは、85歳の方1人のみだそうです。
「染めの工程で何が大変ですか?」と尋ねたところ、「色づくりです。赤といっても朱色がかった赤と臙脂がかった赤では全くの別物。そんな微妙な差を表現する染料を作るのは、けっこう大変なんですよ。」とおっしゃいながら、染め見本のサンプル帖を広げて語る小林さん。そこには手書きで、その色を作る配合レシピが、びっしりと書かれていました。今では手に入らない材料を用いているものもあるそうです。
こうして染められた糸は、蒸しの工程を経て色を定着させたのち、機織り機にかける前準備として糸を並べ整える「巻屋(まきや)」さんへとバトンが渡ります。
従事者はたったの3名、「巻屋」の野村和夫さん(76歳)
巻屋さんでは、図案に合わせながら絣糸と地糸(無地の糸)を配列し、一定の張力をかけながら絣柄にズレが生じないよう、木製の筒に手作業で糸を巻き付けていきます。「ここでズレてしまうと、その後の工程をする織工さんが大変になってしまうんですよね…」と語る野村さんからは、次にバトンをつなぐ人への思いやりと優しさが伝わってきます。この巻屋さんの仕事に従事しているのは、野村さんを含めて、たったの3名ほどです。
次は機織りをされている絵面さんのご自宅へ。向かう道中、茨城県結城郡織物協同組合に加入している機屋さんも最近廃業が続き、今では稼働しているのも僅か5社程度へと減ってしまったとの話を伺いました。
愛情もって伝えてくれる小林さん
真剣にものづくりをする中川さん
平屋建ての染め工場
色づくりのレシピノート
経糸をズレないように張り、絣を揃える巻屋さん
技術保持者が3人しかいない巻屋の野村さん
バトンを受け継ぎ、善い着物を
織りあげる 絵面貞子さん(84歳)
住まわれている家屋のはなれには、機織り機のある作業場があり、訪れたときは丁度、当社オリジナルデザインの結城紬が機にかかっていました。手織りと動力の善い部分を持って動き続ける織機は、すべて50年前から動いているものばかり。動力の正確さも備えつつ、人の勘や手の塩梅で調整する要素が大きいので、熟練の織工さんでないと善いものづくりは出来ません。
絵面さんは、この石下地区で生まれ育ち、中学校を卒業してからそのまま結城紬の仕事に就いたそうで、かれこれ70年近く、結城紬と一緒に歩んできた大ベテラン。機屋の小林さんがおっしゃるには、細かい絣模様である百亀甲を織ることが出来るのは、産地の中でも唯一、絵面さんしかいないとのこと。高度な織りの技術を持たれている絵面さんは、以前はご主人と共に、機屋の仕事もされており、糸づくり・染め・整経など一連の工程にも携わった経験もお持ちだそうです。
『善い品物をつくるって大変だよね~、私はただ皆が用意してくれたものを仕上げているだけだから~』
『善い品物にしたい、善くつくりたい、ということだけは心掛けています』
と謙遜しながら、織りの工程に来るまで携わった方々への感謝をチャーミングに語る絵面さんからは、ものづくり人の美しさを感じました。
そして最後に、結城紬をお求めになられる方へメッセージをお伺いしました。
『大事に着て欲しいですね~』と、やさしく語る絵面さん。
親子三代に渡って、受け継ぐことができるくらい、丈夫、そして袖を通すごとに味わいが深まる結城紬のストーリーが、絵面さんの言葉の奥にはあります。
とっても謙虚でチャーミングな絵面さん
根気と集中力を要する絣合わせ
50年以上動き続けている動力機
語りかけるかのように結城紬に向き合う絵面さん
大正9年創業の機屋さん 4代目の小野 康男さん(63歳)
次に、小野さんの工場を訪問しました。小野さんは現在63歳。産地では若手のホープ。ご自身の畑でブロッコリーやキャベツを育てている親しみやすいお人柄。
工場には3人の織工さん(みなさん70代)が、カシャカシャと機を動かしている最中でした。
『私は実験係なんです!』と笑いながら語る。小野さんは、染めの他、糸の整理、機織りに至るまで、小野さん自らまずやってみて創意工夫をし、常にチャレンジを繰り返されています。新たな技法や、効率化を模索しながら他の職人さんと一緒につくりあげていくアクティブな姿は、伝統的な結城紬を次世代へとアップデートしていく力強さを感じました。
『人の手でつくった真綿の糸だから、最後まで人の手で仕上げるんですよ…』
そう語る小野さんからは、ものづくり人としての矜持を感じます。
美しいグラデーションを生む
「間差し込み技法」を担う 中川啓さん(69歳)
中川さんは、38歳の息子さんと親子で結城紬の仕事に従事しています。卒業後、一時は別の仕事についていたけど、この仕事をやってほしいと呼び戻したんだよ、と父親の中川さんは、ちょっぴり嬉しそうに語られていました。
中川さんの工場では、やまとオリジナルの「ぼかし」を表現する間差し込み技法を一手に担ってくれています。間差し込み技法とは、複数に配色された経糸の配列を工夫することで、グラデーションを生む技術。1360本もの経糸を一本一本並べ替えていくというから、それはもう本当に大変なお仕事です。
結城紬は、この技法が生まれるまでは、単配色のシンプルな柄が主流でした。そんな中、当時のやまとの矢嶋社長が中川さんの工場を訪れ、「こんな結城紬つくれないかなぁ」と試行錯誤しながら、共に生み出したと中川さんが教えてくれました。
「この根気を要する細かな作業をするのは、夜、誰も人がいない中でやるのがいいんだよ」と語る中川さん。
1360本もの経糸を、1本1本、配色を調整しながら筬に通す作業は、1反分つくるのに数時間も要すそうです。美しいぼかし表現の裏側に隠れた、実直にものづくりに携わる中川さんへの尊敬の気持ちでいっぱいになりました。
絣糸を丁寧に手で巻き取っていく小野さん
直接糸に色を入れていく直接染色法
図案を見ながら経糸の配列を決める中川さん
1本1本並べ替えて筬に通していく間差し込み技法
さんちの人々の情熱と温もり、ひたむきさに触れた、
結城さんち探訪の旅。
ものづくり人は美しい。
取材協力いただきましたすべての方々に心より感謝申し上げます。
2021年11月吉日
取材協力:(資)小林織物工場、(有)小野織物、(有)中安紬機業
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