用に即した美
民藝運動は、1926(大正15)年に柳宗悦氏らによって提唱された生活文化運動です。そのころの日本は近代化・西洋化への潮流が大きくなり、工業化が進み、大量生産の製品が生活に浸透してきていました。彼らは、失われていく日本各地の「手仕事」の文化の未来を案じ、近代化・西洋化し同一的になっていく流れに警鐘を鳴らしました。そして、各地の風土から生まれ、生活に根ざした民藝(民衆的工芸)には、「用に即した美」が宿っていると、新たな美の価値観を示したのです。
多様な文化がある世界を残すことで、日本のみならず、世界全体がより豊かになるよう未来に願いを込めて行われた運動でもあります。
片貝木綿のはじまり
昭和20年代。新潟は小千谷 片貝で270年もの歴史を持つ紺仁染織工房の仕事ぶりが、民藝運動の一環として日本各地を回る柳宗悦や白洲正子たち一行の目に留まり、技術を生かした独自の織物を作ることを勧められました。
「これからは、作業着のための藍染めは不要になる。それに代わる、カジュアルでおしゃれなものを作ろうじゃないか」、そんな声をきっかけに柳悦孝氏(柳宗悦の甥)の指導により自然素材である綿をできる限り自然のまま生かし、太さの異なる3種類の糸を組み合わせて織った片貝木綿が誕生します。
「用に即した美」という考え方を背負って生まれてきた片貝木綿は、織の温かみある風合いを持ちながらも、肌にさらっと着心地が良いのが特徴となり、日本の伝統的な美しさと機能を兼ね備えた生地として今もなお愛され作られ続けています。