さんち大辞典 [ か ]
片貝木綿

KATAKAI MOMEN

片貝木綿とは

 現代では正四尺玉の花火で知られ、かつては天領の里として鍛冶・大工・染物が栄えた新潟県小千谷市の片貝町で生まれた木綿の着物。片貝木綿が生まれたきっかけは、昭和20年代に柳宗悦が提唱した「民藝運動」でした。「用に即した美」として日常に自然にとけこむ着物をコンセプトに、以来 現代にいたるまで創意工夫を重ねながら創作されています。無地・縞・格子といったシンプルな柄が多く、帯の合わせ方で様々な装いを年代問わず着られ、ご自宅で洗えるという扱い易さからも、多くの着物ファンを魅了しています。 洋服が一般化した現在でも、特別な日常着として好印象を与えることができるでしょう。

片貝木綿の魅力

  • ふっくらとした布地で抜群の着心地

  • 着るほどに馴染み、シワになりにくい

  • 家で洗濯できる扱いやすさ

  • コーディネート自由自在で飽きがこない

さあ、それでは魅力の秘密を紐解いていきましょう…。

<Index>

魅力の秘密は「糸」にあり… !?

着れば着るほど体に馴染み、シワになりにくい「単糸」で織りあげています。

 片貝木綿は主に「単糸」と言われる1本の糸で織りあげていきます。単糸は糸の太さにムラがありますが、撚りが甘い状態のため、空気をはらみ、ふっくらとした布地が織り上がるのです。太細を混ぜることで太い糸が背骨のような役割を果たし、洗えば洗うほど、糸自体が元の状態に戻ろうとする力が働くため、型崩れしにくく、シワになりにくい良さもあります。
 それに対し、「双糸」と呼ばれる糸は2本以上の単糸を撚り合わせた、均一の太さでコシのある糸です。織り上げると、なめらかでハリのあるきれいな表面感の生地になりますが、その分シワは目立ち易くなります。

サラリとやさしい肌ざわりの鍵は、「太さの違う3種類の糸」!

 片貝木綿は、3種類の番手の違う(30 番手・20番手・10番手)糸を配列し織り上げています。番手とは、糸の太さを表す単位で、数が多いほど細い糸になります。
 3種類の糸を配列し織りあげることで、表面に凸凹が生まれ、細い糸が肌に当たらず、空気をはらみ、サラっとした感触が続くよう仕上げられているのです。
 「太い糸と細い糸を混ぜると、糸の良さが表情に現れる」とは、柳さんの教えでした。

さんち <新潟県小千谷市片貝町>

花火と職人のまち「片貝」

 上越新幹線「長岡駅」からバスで約30 分、新潟県小千谷市に片貝町はあります。人口約4000人の小さな町ですが、毎年9月に開催される「片貝まつり(浅原神社秋季例大祭奉納大煙火)」では2日間で約1万5千発もの花火が打ち上げられ、観光客で賑わいます。片貝町は、江戸時代、幕府の天領(直轄領)であったことより、花火師などの職人が多く集まり、お互いの腕を競い合いました。以来、400年以上続く由緒あるお祭りが「片貝まつり」です。

多くの職人が住みついた片貝町

 今でこそ片貝町は小千谷市の一部ですが、1956年に合併する前は三島郡片貝町と呼ばれ、日本海に近いことから、様々な物資が海を越えて渡ってくる土地でした。江戸時代は幕府の天領(直轄領)だったことから、「安心して仕事ができる」と、多くの職人がこの町に住み着き、その中には、鍛冶屋や箪笥屋、下駄屋、酒の醸造を行う杜氏も多かったといわれています。

民藝運動 <片貝木綿 生誕秘話>

用に即した美

 民藝運動は、1926(大正15)年に柳宗悦・河井寛次郎・浜田庄司らによって提唱された生活文化運動です。そのころ時代は、近代化・西洋化への潮流が大きくなり、工業化が進み、大量生産の製品が少しづつ生活に浸透してきていました。彼らは、失われていく日本各地の「手仕事」の文化の未来を案じ、近代化・西洋化し同一的になっていく流れに警鐘を鳴らしました。そして、各地の風土から生まれ、生活に根ざした民藝(民衆的工芸)には、「用に即した美」が宿っていると、新たな美の価値観を示したのです。
 グローバル化が進み、便利な世の中になればなるほど、画一的・同一的な社会へと流れてしまいがちな現代こそ、よりローカルの魅力を見つめなおし、多様な文化を育てていくことが大切なのかも知れませんね。

片貝木綿のはじまり

 そしてときは昭和20年代。新潟は小千谷 片貝で270年もの歴史を持つ紺仁染織工房の土地に根付いた紺屋としての徹底した仕事ぶりが、民藝運動の一環として日本各地を回る柳宗悦や白洲正子たち一行の目に留まり、技術を生かした独自の織物を作ることを勧められました。
 「これからは、作業着のための藍染めは不要になる。それに代わる、カジュアルでおしゃれなものを作ろうじゃないか」、そんな声をきっかけに生まれたのが、片貝木綿でした。自然素材である綿をできる限り自然のまま生かし、太さの異なる3種類の糸を組み合わせて織った片貝木綿。吸水性に優れた綿素材は表面が平らなため、肌にまとわりつくのが難点ですが、3種類の糸を合わせることにより、細い糸が肌に当たらず、空気をはらみ、サラっとした感触が続くよう仕上げました。
 こうして片貝木綿という紺仁工房独自の織物が生まれたのです。それは、鑑賞のための美ではなく日常生活に真にとけ込み、物の内から滲み出る「用に即した美」という考え方を背負って生まれてきた生地でした。

紺仁染織工房 <民藝運動家の目に留まったものづくり>

1751年(宝歴元年)創業の老舗

 紺仁染織工房は、宝暦元年(1751 年)、初代 松井仁助が藍染めの染物屋、いわゆる「紺屋」として、越後の国 浅原の荘片貝(今の小千谷市片貝町)にて創業しました。以来、約270 年、十一代にわたり雪国越後の厳しい気候風土に育まれながら現在まで、その技術を受け継いできました。その「藍染め」は、天然藍の中でも、黒ずんだ力強い藍色に特色があり、越後正藍染めと呼ばれ高い評価を得てきました。今でも、片貝木綿の他、越後正藍染めや松煙(しょうえん)、辨柄(べんがら)の染め着物や半纏を創作されています。

ものづくりの心

 片貝木綿の製法は、当時からほとんど変わっていません。撚った糸を加工せず自然のまま使うので、織る際に力がかかると糸の抜けや切れも多くなります。それだけ扱いが難しく、手間暇がかかるのです。しかし、効率を求めたら、必ずマイナスが出る。長く続けてきた中で、今のやり方が木綿にとって一番良く、やさしい風合いになると確信しているからこそ、忠実に守り続けています。
 ものづくりは日々同じ作業の繰り返しです。ですが、「織り上がったものには、必ず作り手の表情が入る」と、紺仁染織工房 十一代目 松井均さんはいいます。いつの世の中になっても、いいものは必ず残る。だからこそ、手間暇かけても「片貝木綿でなくては」というお客様のために、当時の製法を守り続けています。

片貝木綿の出来るまで <染と織>

先染め

 藍染めをルーツに持つ「紺仁」では、片貝木綿に使う糸の染めも行っています。糸染め機や手染めでムラなくしっかりと染め上げていきます。様々な染料を調合しながら色を創っていくのですが、染料それぞれの特徴を熟知し、染めるには長年の経験を要します。
 染め上げられた糸は、毛羽立ちを防ぐため、織る前に糊付けされ、織の準備へと進みます。

織り

 タテ糸に3種の太さの異なる糸を配列していきます。そうすることで、生地の表面に凹凸を出し、肌に触れる面積を少なくすることでベタッとまとわりつかない感触を持たせています。ヨコ糸の打ち込みもできるだけ抑えて、バイヤスで裁断しやすい生地としています。
 工房内に入ると、織機が何台も動いており、ガチャガチャとリズム良く織機の音が鳴り響いています。中には、トヨタ自動車の源流である「豊田自動織機株式会社」と記された古くて小さな織機もあり、紺仁染織工房の歴史を感じ取ることが出来ます。

だら干し

 織り終わった生地は棒に引っ掛けて、天井から“だら干し” します。織られた反物を上からだらりと干すことからそう呼ばれています。植物繊維は水分を含み、吸湿性が高いので、機械で乾燥させると生地の幅や丈が詰まり、仕立てた時に縮んでしまいます。一晩かけて自然に乾燥させることで、無理なく生地が詰まり、ふっくらと柔らかいまま乾くのです。

<Topics>
やまとの片貝木綿は、地詰め湯通し・手のし仕上げを行ってから製品として並びます。

 織物で皆さんがご心配されるのが「縮み」。一般的には、反物をご購入の後、湯通し~仕立てをしますが、当社では、製品として並ぶ前に「地詰め湯通し・手のし仕上げ」を行うことで、縮みへのご不安をなくし、ご自宅で洗っても安心してご着用いただけます。この工程では、まず反物に傷や織り難がないかを丹念にチェック。次に少量の洗剤が入った水の桶に1反づつ反物を入れ、糊を落とします。反物により糊の量がまちまちなので、手で触った感触で、糊落としの時間を調節しています。真水で再度洗ったら、専用の特殊な機械で、水を絞りとり、テンターとよばれる機械で湯のしをします。一点一点アイロンかけをして初めて、やまとの店舗に製品として並びます。

LINE UP <格子柄・縞柄・無地感>

片貝木綿の反物は、女性用は勿論、男性用・子供用としてもお仕立てすることが可能です。
ご要望等ございましたら、お気軽にご相談ください。