「博多織」が生まれたのは、1241年の鎌倉時代のこと。博多の商人だった満田弥三右衛門が、禅宗の和尚・円爾(聖一国師)とともに宋(現在の中国)に渡り、唐織の技術を持ち帰ってきたことが始まりでした。
当時の筑紫国 博多は大陸の玄関口として栄え、さまざまな大陸文化が入ってくる、活気にあふれた貿易の街でした。弥三右衛門は織物とともに朱焼、箔焼、素麺、麝香丸の技術も持ち帰り、博多の人々に伝えましたが、織物だけは家伝とし、独自の技術を交えながら末代まで受け継ぎました。
当時の博多織は細い紐状だったことから、男帯として誕生したといわれています。その後、徐々に幅が広がり、江戸時代中期になると、現代のような広い帯となりました。糸は当時から絹を使っており、大変貴重な織物だったことが想像できます。
福岡県福岡市博多区にある承天寺には「饂飩蕎麦発祥之地」の石碑があります。博多織と共に、うどん・そば・羊羹・饅頭などの製法が最初に伝えられた場所とも云われています。また承天寺は、有名な博多の夏祭り「博多祗園山笠」発祥の地としても知られています。
博多織とゆかりの深い承天寺では、博多織工業組合の最大の年中行事として毎年11月に開催される求評会(新作発表会)が催されています。求評会では普段は拝観できない境内を一般客にも開放し、新作の博多織はもちろんのこと、紅葉や枯山水の庭での野点の茶会、博多芸妓の舞を楽しむことができるとあって、多くの博多織ファンで賑わいます。