さんちつくりべ 新田

新田

山形 米沢

新田

 山形県の南、置賜地方に位置し、「最上川」の源である吾妻連峰の裾野に広がる盆地にあるのが、上杉氏米沢藩の城下町「米沢」です。ここ米沢は、江戸時代中期、米沢藩9代目藩主「上杉鷹山」公により絹織物が始められ、現在織物のさんちとして名声を博しています。もとは米沢藩に仕える武士の家系である「新田家」では、先祖代々受け継がれてきた絹織物を生業とし、染めから織りまで一貫したものづくりをしています。中でも紅花染めを代表とする自然由来の「天然草木染め」には定評があり、たとえようのない美しい天然色の着物や帯は多くの人を魅了しています。

五月雨を あつめて早し 最上川。松尾芭蕉の句でも有名な最上川。「母なる川」として地元で愛されています。

五月雨を あつめて早し 最上川。松尾芭蕉の句でも有名な最上川。「母なる川」として地元で愛されています。

養蚕や織物を産業として確立させた米沢藩主「上杉鷹山公」。新田家の居間には鷹山公の掛け軸がかけられています。

養蚕や織物を産業として確立させた米沢藩主「上杉鷹山公」。新田家の居間には鷹山公の掛け軸がかけられています。

鷹山公は養蚕を奨励するため、桑の苗木を領内各地に送ったといわれ、その1本がこの桑の木といわれています。

鷹山公は養蚕を奨励するため、桑の苗木を領内各地に送ったといわれ、その1本がこの桑の木といわれています。

鷹山公が祀ってある松岬神社。米沢の織物組合では鷹山公への尊敬の意を込めて、お正月には銅像をみんなで拝しています。

鷹山公が祀ってある松岬神社。米沢の織物組合では鷹山公への尊敬の意を込めて、お正月には銅像をみんなで拝しています。

昭和元年に建てられたという築約100年の新田家住居兼工場。

昭和元年に建てられたという築約100年の新田家住居兼工場。

紅花をはじめ、きはだ・藍・山桃・栗のイガなどの天然染料で染める天然草木染めに拘ったものづくり。

紅花をはじめ、きはだ・藍・山桃・栗のイガなどの天然染料で染める天然草木染めに拘ったものづくり。

作り手インタビュー

株式会社新田 五代目 社長
新田源太郎さん

株式会社新田 五代目 社長 新田源太郎さん

 JR米沢駅から車で約10分、築100年近い日本家屋の住居兼工場の工房「新田」。長い歴史の重みを感じる門をくぐると、どこからともなくリズミカルに鳴り響く織機の音が耳を楽しませてくれます。普通の2階建ての建物より高くつくられている建物の2階からは、美しい吾妻連峰を望み、四季それぞれの景観が楽しめます。古くは江戸時代、米沢藩に仕える武士の家系である新田家、明治17年に機屋として創業した株式会社新田の5代目であり社長の新田源太郎さんにお話しを伺いました。

ものづくりで大切にしていることは?

伝統は革新の連続がつながったもの。常に進化しなくてはいけない、と思います。

 同じものはつくらない、常に進化をしつづけることが大切だと思っています。今でこそ伝統的なものとしてみられる紅花染めも、私の祖父と祖母が紅花というものに出会い、試行錯誤を重ねて復興させたことで生まれた、当時では革新的なものでした。伝統というのは、このように革新の連続で、つながっていくものだということが、ある意味、身に染みています。
 このように、進化させたことで今につながっているわけで、これからも、伝統は守りつつも新しいものを生み出していかなくては、時代に取り残されてしまうと思います。

とりわけ「色」は大事ですね。
「天然草木染め」は大変手間がかかるからこそ、チカラが宿ります。

 米沢の織物は、とりわけ「色」が命です。色といえば、十人十色と言われるように、それぞれに好みがあるかとは思いますが、洋服にはない、着物という自分の表現の1つに、天然草木染めによる「色」を加えてもらえたら嬉しいなと思います。うちで生み出した色をお客様に気に入っていただけたときの喜びはひとしおですし、また色に対しての責任も感じています。
 色をデザインするにあたっては、地元米沢の四季折々の風景だったり、旅先で感銘を受けた風景などから着想を得ることが多いですが、色というものは、春なのか冬なのか、朝なのか夕方なのか、その時々の「光」によって移り変わるものです。その「光」により生まれる美しい瞬間をとらえる感性を磨き、その「色」を商品として具現化していくようにしています。

 明治時代になると、化学染料が入ってきて、それまでの天然染料では出来なかった幅広い色が出せるようになりました。世の中もこぞって多彩な表現がしやすい化学染料へと移っていきました。それに対し、天然草木染めというのは、簡単には染まりませんし、思った色を出すことは非常に困難です。しかし、手間がかかるからこそ、そこにはチカラが宿りますし、完成した時の喜びは大きいですね。

紅花をはじめ、きはだ・紫根・さくらんぼの枝・栗のいがなどから、染料をつくります。

紅花をはじめ、きはだ・紫根・さくらんぼの枝・栗のいがなどから、染料をつくります。

色とりどりの天然草木染めをした絹糸で織りあげます。

色とりどりの天然草木染めをした絹糸で織りあげます。

「紅花染め」について教えてください。

その歴史を知れば知るほどロマンを感じます。

 紅花は、エジプト・エチオピアが原産で、今から4000年ほど前のエジプトでも染められていたと言われるほど非常に古い歴史があります。その後、シルクロードを通って日本へ伝来したと言われますが、卑弥呼がいたころの時代には、日本でも紅花があったと言われています。実際、古墳からも原産が日本ではない外来種の紅花の花粉も出土しています。今、こうして染色をしているということに、すごくロマンを感じますよね。

一時は衰退した紅花染め。天然の色に魅了された祖父と祖母が復興させました。

 江戸時代、ここ米沢周辺、最上川流域は、全国の出荷量の6割以上を占める紅花の主要産地でした。その後、明治時代に入り、化学染料の普及や、戦争などによる国策で農業へ職を変えたりと、紅花染も衰退してしまいます。こうして一時は幻となった紅花染めですが、昭和30年代~40年代にかけて、私の祖父である三代目の秀次と、祖母の富子が、当時、紅花の研究をしていた先生から声をかけられ、紅花に出会いました。当時は高度成長期、時代自体が新しいものへ向いていた最中、祖父と祖母は、天然の紅花から染まる美しい色に魅了され、様々な方々の協力も得ながら試行錯誤し、紅花染めを復興させ、米沢の紅花紬として世に出しました。私がこうして、この家に生まれて、受け継ぎながら携わっているということを考えると大変ロマンを感じますし、また、これからも永く後世へとつないで行きたいと思っています。

紅花は、山形の県花にも指定されています。

紅花は、山形の県花にも指定されています。

山形新幹線には、紅花とさくらんぼが描かれています。

山形新幹線には、紅花とさくらんぼが描かれています。

― 天然草木染め・紅花染め ―
重ね染めによる百色の色相

新田家歴代の弛まざる研究と努力から生まれた
たとえようのない美しい色彩
色が命と言われる先染めの絹織物をご堪能ください

紅花をはじめとする天然草木染めをした美しい絹糸で織りあげる米沢織の着物

 新田さんが手がける米沢織の着物や帯は、紅花をはじめとする天然の植物を用いて染めた絹糸で織りあげられます。同じように染め上げるのは非常に困難で、熟練の技を要する天然草木染めによる一期一会の「色」が魅力です。

― 紅花染め ―

4月頃に種を巻き、7月くらいに花を摘みます。紅花はトゲが鋭く、トゲが柔らかい朝霧が残る早朝から花摘みを始めるそうです。

4月頃に種を巻き、7月くらいに花を摘みます。紅花はトゲが鋭く、トゲが柔らかい朝霧が残る早朝から花摘みを始めるそうです。

摘まれた花を水洗いし、足で踏んで花弁にキズをつけると2~3日で自然発酵し赤くなります。赤くなったら臼でつきます。

摘まれた花を水洗いし、足で踏んで花弁にキズをつけると2~3日で自然発酵し赤くなります。赤くなったら臼でつきます。

臼でついて発酵させた紅花を団子状にし、むしろをかぶせたら裸足で踏んで煎餅状にし乾燥させて「花餅」をつくります。

臼でついて発酵させた紅花を団子状にし、むしろをかぶせたら裸足で踏んで煎餅状にし乾燥させて「花餅」をつくります。

花餅から、冷水ではじめに黄色の色素をもみだします。その後、灰汁を花餅に浸して赤の色素を抽出していきます。

花餅から、冷水ではじめに黄色の色素をもみだします。その後、灰汁を花餅に浸して赤の色素を抽出していきます。

抽出された色素で絹糸を染めます。染める回数や時間などにより、色も変わってきます。

抽出された色素で絹糸を染めます。染める回数や時間などにより、色も変わってきます。

紅花で染められた糸や、様々な植物で染めた糸を機にかけ、織りあげていきます。

紅花で染められた糸や、様々な植物で染めた糸を機にかけ、織りあげていきます。

 新田さんの工房では、これら糸の染めから織までの工程を自社で一貫生産しています。

染め職人 末野隆英さん

染め職人 末野隆英さん

草木染めの大変なところは何ですか?

染めは生もの。その時その時の様子で色をコントロールしなくてはいけません。

 「天然草木染め」は、簡単に言えば自然にある植物を煮出して染料をつくって染める、というもの。染め場では、いろいろなものを煮ているので、夏場は暑いですね。この染色の仕事に就いてからは約40年になります。それでも、思った通りの色を出すというのは、けっこう難しいですね。
 例えば、きはだから染料をつくるときは、沸騰してから約30分くらい煮だしたりといった目安はありますが、その量だったり時間だったり、その植物の状態だったりで出る色は違ってきますし。こうした色を作って欲しいと言われ、指定された色に合わせていくのは大変です。
 また、うちでは複数の草木染めを組み合わせて新しい色を生み出したりもしています。きはだから抽出した「黄色」に、蓼藍からつくった「青色」を混ぜて「緑色」を作ったり。このように色を重ねる場合は、染料を混ぜるのではなく、一度、きはだで糸を染めてから乾かし、その後に藍で染めて色をつくっていくので、手間暇がかかっています。
 思った通りの色表現が出来た時というのは、やっぱり嬉しいものですね。

植物を煮出して、染料をつくります。

植物を煮出して、染料をつくります。

糸を染めた後、媒染して発色させます。

糸を染めた後、媒染して発色させます。

織工 遠藤加奈子さん

織工 遠藤加奈子さん

織りの仕事の大変なところは何ですか?

実際に織る以上に、そこに至るまでの下準備というのが大変なんですよ。

 織りの仕事をはじめてもう30年くらいになります。織りの仕事は、どうしても機織りをしているところがフィーチャーされることが多いですが、実はその下準備がまず大変なんですよ。経糸と緯糸を管に巻いたり、整経したり、そして織機にセットしたりと織る前にやることは色々ありますね。実際に織り始めてからは比較的早いです。

 私が今ちょうど織っているのは、米沢織の「帯」なのですが、これは緯糸の太さが均一ではなく、太かったり細かったりするので、打ち込んでいく加減が難しいですね。糸の扱い具合が分かるまでにはけっこう時間がかかりました。経糸の張り具合や、緯糸の打ち込みの加減で、帯の風合いなどが変わってきます。実際に米沢織の帯を締めてくださったお客様から、締めていくうちに、だんだん馴染んで良くなってきた、と言われたときは嬉しかったですね。こうした風合いの良さというのは、織りの加減も影響していますのでね。