ものづくりで大切にしていることは?
伝統は革新の連続がつながったもの。常に進化しなくてはいけない、と思います。
同じものはつくらない、常に進化をしつづけることが大切だと思っています。今でこそ伝統的なものとしてみられる紅花染めも、私の祖父と祖母が紅花というものに出会い、試行錯誤を重ねて復興させたことで生まれた、当時では革新的なものでした。伝統というのは、このように革新の連続で、つながっていくものだということが、ある意味、身に染みています。
このように、進化させたことで今につながっているわけで、これからも、伝統は守りつつも新しいものを生み出していかなくては、時代に取り残されてしまうと思います。
とりわけ「色」は大事ですね。
「天然草木染め」は大変手間がかかるからこそ、チカラが宿ります。
米沢の織物は、とりわけ「色」が命です。色といえば、十人十色と言われるように、それぞれに好みがあるかとは思いますが、洋服にはない、着物という自分の表現の1つに、天然草木染めによる「色」を加えてもらえたら嬉しいなと思います。うちで生み出した色をお客様に気に入っていただけたときの喜びはひとしおですし、また色に対しての責任も感じています。
色をデザインするにあたっては、地元米沢の四季折々の風景だったり、旅先で感銘を受けた風景などから着想を得ることが多いですが、色というものは、春なのか冬なのか、朝なのか夕方なのか、その時々の「光」によって移り変わるものです。その「光」により生まれる美しい瞬間をとらえる感性を磨き、その「色」を商品として具現化していくようにしています。
明治時代になると、化学染料が入ってきて、それまでの天然染料では出来なかった幅広い色が出せるようになりました。世の中もこぞって多彩な表現がしやすい化学染料へと移っていきました。それに対し、天然草木染めというのは、簡単には染まりませんし、思った色を出すことは非常に困難です。しかし、手間がかかるからこそ、そこにはチカラが宿りますし、完成した時の喜びは大きいですね。
紅花をはじめ、きはだ・紫根・さくらんぼの枝・栗のいがなどから、染料をつくります。
色とりどりの天然草木染めをした絹糸で織りあげます。
「紅花染め」について教えてください。
その歴史を知れば知るほどロマンを感じます。
紅花は、エジプト・エチオピアが原産で、今から4000年ほど前のエジプトでも染められていたと言われるほど非常に古い歴史があります。その後、シルクロードを通って日本へ伝来したと言われますが、卑弥呼がいたころの時代には、日本でも紅花があったと言われています。実際、古墳からも原産が日本ではない外来種の紅花の花粉も出土しています。今、こうして染色をしているということに、すごくロマンを感じますよね。
一時は衰退した紅花染め。天然の色に魅了された祖父と祖母が復興させました。
江戸時代、ここ米沢周辺、最上川流域は、全国の出荷量の6割以上を占める紅花の主要産地でした。その後、明治時代に入り、化学染料の普及や、戦争などによる国策で農業へ職を変えたりと、紅花染も衰退してしまいます。こうして一時は幻となった紅花染めですが、昭和30年代~40年代にかけて、私の祖父である三代目の秀次と、祖母の富子が、当時、紅花の研究をしていた先生から声をかけられ、紅花に出会いました。当時は高度成長期、時代自体が新しいものへ向いていた最中、祖父と祖母は、天然の紅花から染まる美しい色に魅了され、様々な方々の協力も得ながら試行錯誤し、紅花染めを復興させ、米沢の紅花紬として世に出しました。私がこうして、この家に生まれて、受け継ぎながら携わっているということを考えると大変ロマンを感じますし、また、これからも永く後世へとつないで行きたいと思っています。
紅花は、山形の県花にも指定されています。
山形新幹線には、紅花とさくらんぼが描かれています。