加賀友禅の原型
加賀の国は、友禅染めに適した川や用水に恵まれた風土で、およそ500年ほど前に加賀独自の無地染めであった「梅染」がルーツと言われています。この無地染めに模様が施されるようになったのは、江戸時代初期17世紀中頃。加賀百万石と称され栄華を極めた加賀藩では中央と交流も盛んで、染めの技法である兼房染(けんぼうぞめ)や、色絵、色絵紋などが伝わり、加賀のお国染め技法として染色技術が確率されていきました。江戸時代初期には、加賀の国には約200軒ほどの紺屋(染もの屋)があったと言われます。
加賀友禅の祖 宮崎友禅斎
今から約300年以上前、もともと加賀友禅が生まれる土壌のあった加賀の国へ、扇絵師として京都で活躍していた宮崎友禅斎が1712年(正徳2 年)に移り住み、従来の加賀染めに新たな意匠と染め技を加えたものが、加賀友禅の始まりと言われています。「友禅」という言葉は、この宮崎友禅斎という人の名前に由来しています。
宮崎友禅斎が生み出した加賀友禅は、加賀藩の庇護、奨励のもとで育まれ、産業として確立されていきました。
近代・現代の加賀友禅
昭和28年(1953年)の宮崎友禅斎生誕300年祭あたりをきっかけに、盛り上がりを見せ、昭和30年(1955年)、友禅作家の木村雨山(きむらうざん)が、加賀友禅の作家としてはじめて重要無形文化財保持者 (人間国宝)に指定されたことで、加賀友禅の名前は一躍全国に知られるようになりました。
昭和48年(1973年)には、協同組合 加賀染振興協会が発足し、落款登録など現在の加賀友禅の条件等が定められ品質の安定・向上がなされました。更に昭和50年(1975年)には国(経済産業省)の伝統的工芸品に指定されました。脈々と伝えられる伝統の技は、今もなお引き継がれておりますが、加賀友禅作家や職人の後継者も不足しており、新たな後継者の育成が必要とされています。