この仕事に就いたきっかけは?
実は、高校の担任の先生から「絶対やった方が良い!」と何度も言われて…。
私は、この工房を受け継いで2代目になります。先代は私の叔父にあたるのですが、お子さんがいなく、叔父からは、継いで欲しいようなことは言われておりました。高校3年生の時の進路相談で、その話を担任の先生に話したところ、美術の先生だったこともあったのか、「絶対やった方が良い!」と親もひっくるめて何度も力強く言われました。それ以来、この仕事をずっと続けています。
小学4年生以降は、野球にのめり込んでいたので、ここの工場にもあまり来ていませんでしたが、子供のころは、しょっちゅう工場に遊びに来ていて、この染めの世界というのは、とても身近なものでありました。私には今子供が3人いるのですが、学校が休みの時なんかは、工場に遊びに来ますよ。家には置ききれないので、こっちに漫画を置いているので(笑)。こうして染めの世界を身近に見てくれるというのは、嬉しいものですね。
ものづくりの「こだわり」は?
お客様に「手作りの善いもの」をお届けしたいと思っています。
私たちがつくっているものは、人の手でつくっていますので、どうしても染めムラや、柄のズレなどが出来てしまいます。それを手作りの味わいと言って喜んでくださる方もいらっしゃいますが、作り手としては、そのようなムラが無いよう、高い技術で、高品質なものを届けたいという気持ちを持って仕事をしています。
また、昔は7mの長板という台に白生地の反物を真ん中で折り返して柄付けを行っていて、その折り返しの部分を剣先というのですが、そこはどうしても柄がつながりません。昔はそこで裁断して仕立てていたのですが、時代とともに、この剣先の柄がつながっていない部分も「難もの」などと言われるようになったりしました。紬の生地でも糸の節目があると、難ものと思われる方も多いかもしれませんが、それと同じですね。そうした時代の移り変わりと共に、うちでも13mの反物を1反まるまる張って作業が出来るスクリーン台を導入するなど、変化させてきました。
今の風景にフィットするものをつくって行きたいです。
江戸小紋は、京友禅や加賀友禅といった他の染め物と比べると、華やかさはありませんが、着物が主役なのではなく、着ている人を引き立たせてくれる魅力があり、今の街並みに自然と馴染む美しさが江戸小紋にはあると思っています。例えば、うちで創作している「二枚型」の多色表現をした小紋なども、今の風景に自然とフィットする美しさをイメージして作っています。
「二枚型」について教えてください。
様々な配色での色表現が出来、今の街並みに馴染む美しさのある着物です。
一般的な江戸小紋が、1枚の型紙で柄付けをし、1色で地染めをするのに対し、二枚型の場合は、型紙を2枚使って1つの柄を表現します。型紙は同じでも様々な色表現が可能となり、配色をかえるだけで全く違った印象になるといいます。ちなみにうちでは三枚型や四枚型というのもあります。
2枚の型紙を使って奥行きのある色柄を表現する「二枚型」
違う柄が彫られた型紙(スクリーン型)。この型紙の柄が重なり合うことによって1つの柄となります。
まず1枚目の型紙を使い、柄になる部分に色糊をのせて行きます。スクリーン型は薄いため、色糊が乾いたのち、さらにもう一度上から糊を重ねて盛ります。糊をつける作業は左右のチカラを均一にしなくてはムラになってしまう為、高度な技術を要します。
白生地に色糊を置いたら、型紙についた色糊をきれいに洗い流します。洗い残しがあると、そこが染めムラとなってしまう為、道具の手入れも重要です。
1枚目の糊が乾いたら、つぎにもう1枚の型紙で糊を置いていきます。白生地の白目を活かした柄にする場合は防染糊、柄に色をつけたい場合は色糊を使います。
2枚の型で糊を置いたら乾かし、その後、しごき染めといわれる技法で、地染めをしていきます。地染めが終わると、裏しごきといって裏面も染めていきます。
蒸しの工程で色を定着させた後、水元と呼ばれる水洗いで余分な糊を落とし、乾燥させるときれいに色が入った着物が完成します。
二枚型で染め上げた田島染芸さんの東京染小紋
田島染芸 染色職人 尾有 隆太郎さん
田島染芸さんの、染めを支えるもう一人の職人さん。もともとは車の整備工として働いていました。その後、カナダにいた知人を頼って外国へ行ったそうです。カナダには1年ほどいた後、日本に戻りましたが、海外にいた時に、改めて日本の文化というのは素晴らしいということに気づき、伝統的な工芸品のものづくりに携わりたいとの想いで、この染色の世界に入ったそうです。