さんちつくりべ 五月女染工場

五月女染工場 ―東京染小紋―

東京 本所吾妻橋

五月女染工場 ―東京染小紋―

 上を見上げれば目の前には高くそびえ立つ東京スカイツリー。江戸の下町風情と現代の景色が溶け合う、隅田川にほど近い「本所吾妻橋」に五月女染工場さんがあります。川を渡れば浅草という風光明媚なこの地で、三代にわたりものづくりを続けています。五月女染工場さんの工場の上には、ご家族みなさんが住まれている住居もあり、日々の暮らしが仕事と共生している環境。日常の中より、ものづくりの着想を得ているというその作風は、とても親しみやすく、愛着の湧くものであることが特徴の1つでもあります。

隅田公園より東京スカイツリーを臨む。

隅田公園より東京スカイツリーを臨む。

江戸の生活を支える隅田川。

江戸の生活を支える隅田川。

柄付けを行う板場の窓は東向き。太陽光を入れて午前中に作業する。昔ながらの7mの長板(白生地を張って染める台)を使用しています。

柄付けを行う板場の窓は東向き。太陽光を入れて午前中に作業する。昔ながらの7mの長板(白生地を張って染める台)を使用しています。

(左)「糸巻きとハサミ」型紙 (右)「キツネ」型紙 日常の生活から着想を得た、親しみやすい柄のモチーフ

(左)「糸巻きとハサミ」型紙 
(右)「キツネ」型紙
日常の生活から着想を得た、親しみやすい柄のモチーフ

作り手インタビュー

五月女染工場 伝統工芸士
五月女淳一さん

五月女染工場 伝統工芸士 五月女淳一さん

五月女染工場の3代目、そして東京染小紋の伝統工芸士でもある五月女淳一さん。
奥様を含め4名で代々受け継いだ工場を切り盛りしています。
東京下町のど真ん中で、ものづくりのお話しを色々伺いました。

この仕事に就いたきっかけは?

工場が子供の頃からの遊び場でした。自然とこの世界に入っていましたね。

 もともとは、家を継ごうとは思っていませんでしたが、20歳くらいにこの仕事に就きました。親からは家を継いで欲しいなどと言われたことはありませんが、ここに生まれ育ち、子供の頃は工場が遊び場でした。職人さんたちと話したり、おがくずをワ~って散らかしたりしたものでした。そう思うと、この染めの世界は常に日常にあり、この仕事に就いたのは、ごくごく自然なことだったと思いますね。

ものづくりの「こだわり」は?

ものづくりを続けるためには、凝り固まらず、「柔軟」に変化させていく。

 うちでは、今でも昔ながらの伝統的な7mの長板を用いて、白生地を板に両面張り、伊勢型紙を用いて星(目印)を合わせながら手作業で柄付けを行っています。こうした古来からの伝統的な技法にも拘ってはいるのですが、こだわりと凝り固まることは違います。
 ものづくりにおいて、江戸小紋らしさの規定は守りつつも、新しいことへ柔軟に変化していく柔らかさが大切だと私は思います。他の工場に、それ、どうやってやっているの?とか、積極的に聞いて、使えるものはどんどん取り入れながら自分たちの環境も変化させていかなくてはなりません。頑固にならず、柔軟に変化させていくことで、未来へ、うちのものづくりをつないで行きたいと思っています。
 昔は、工房それぞれがライバル関係で、よそに聞いても、その工房だけの秘密みたいな感じで、教えてくれませんでしたが、今はそんなことなく、皆が協力しあっており、聞いたらなんでも教えてくれて、ありがたいですね。

仕事場と暮らしが共にある環境

仕事場と暮らしが共にある環境

伝統的な7mの長板に反物を張り柄付けを行う

伝統的な7mの長板に反物を張り柄付けを行う

伊勢型紙を用いて防染糊をズレることなくおいていく高度な技術「型付け(手付け)」

子どもたちと遊んでいると、頭が柔らかくなりますね。

 うちには今、8歳と5歳と2歳になる子供が3人います。休日はほとんど子供たちと遊んでいますが、一緒に遊んでいると、頭が柔らかくなりますね。自分では気づかないような視点を子供は持っていたり、いつも驚かされます。私が創作した江戸小紋に、妖怪をモチーフにしたシリーズがあるのですが、それは子供と一緒に、妖怪ウォッチというアニメを見ていて面白いな、と。それから妖怪を色々調べて、型紙から作りました。先日、そのシリーズをお求めいただいた方が、実際に着物をお召しになって、うちの工場を訪れていただいたんです。こうしてお召しになっているのを実際に見るとホント嬉しいものですね。

江戸小紋の魅力とは?

制約がある中で、先人たちが創意工夫を重ねた色・柄の表現

 小紋の歴史は古く、奈良の正倉院にもいわゆる小紋の柄の布などが保存されていたりしますが、本格的に江戸小紋として技術が発展したのは、江戸時代に、お侍さんが着ていた「裃(かみしも)」が始まりと言われています。当時は、大名毎に使う柄が定められていたり、色も地味な色ばかり。色にしても柄にしても、制約があった時代でした。その制約の中で、江戸の職人さんたちは出来うる限りの技術を磨き上げ、同じ茶色系でも濃い茶色から淡い茶色、グレーでも青味がかったものから赤味をおびたグレーなど、多様な色表現を工夫しながら創り上げてきました。それって凄いことだなぁと思います。今では、どんな色でも作ることが出来ますけど、いわゆる「四十八茶百鼠」に代表されるような、江戸の色彩は魅力的だと思います。

これからチャレンジしてみたいことは?

自分で型紙を彫って、思い通りの表現が出来るよう、スキルを高めたいですね。

 江戸小紋に用いる型紙は、自分自身でも彫ってつくったりしています。本当に細かい柄などは、型紙のさんちである伊勢に発注したりしますが、伊勢型紙を彫る職人さんも今では少なくなっています。昨年発注した型紙も、もう1年近く経っていますが、まだ上がってきていませんね。もともと家で受け継いできた昔の型紙は財産ですね。古くなったのを自分で修繕して使ったりすることもあります。型彫りのスキルも高めていきながら、思い通りの表現が今以上に出来るようになりたいと思っています。ただ、彫る技術だけではなく、その型に合わせた道具なども作らなくてはならず、なかなか大変な世界です。

可愛らしい「金魚」の柄。型紙で糊付けをしたもの。

可愛らしい「金魚」の柄。型紙で糊付けをしたもの。

左から、「糸巻きとハサミ」「カニ」「キツネ」柄

左から、「糸巻きとハサミ」「カニ」「キツネ」柄