さんちつくりべ 小倉染芸

小倉染芸 ―東京友禅(江戸友禅)―

東京 高田馬場

小倉染芸 ―東京友禅(江戸友禅)―

 小倉染芸さんは創業して約90年あまり、東京の都心「新宿 高田馬場」にて、東京友禅のものづくりをしています。神田川沿いには古くより数多くの染め工房があり、東京の染色文化の中心地でもあります。毎年2月末の週末には、神田川の支流である妙正寺川が流れる新宿の中井・落合地区で、「染の小道」と言われるイベントも開催され、川面には色とりどりの反物が架けられます。今の高田馬場、中井、落合周辺に多くの染め職人が移り住んだのには神田川、妙正寺川が落ち合う場所であった事から、豊富できれいな水源があり水元に適していたという理由がありました。

かつて神田川の水で染め物を水洗いしていた光景を思い起こさせる新宿の中井・落合地区の「染の小道」

かつて神田川の水で染め物を水洗いしていた光景を思い起こさせる新宿の中井・落合地区の「染の小道」

井の頭公園にある井の頭池に源を発し、都心の真ん中を流れる神田川。春になると川沿いの桜が咲き誇ります。

井の頭公園にある井の頭池に源を発し、都心の真ん中を流れる神田川。春になると川沿いの桜が咲き誇ります。

新宿・高田馬場は、漫画家 手塚治虫さんのプロダクションがあったことより、手塚治虫ゆかりの地としても知られます。駅の高架下には手塚マンガの壁画が描かれています。

新宿・高田馬場は、漫画家 手塚治虫さんのプロダクションがあったことより、手塚治虫ゆかりの地としても知られます。駅の高架下には手塚マンガの壁画が描かれています。

京友禅・加賀友禅と並び三大友禅と称される東京友禅。

京友禅・加賀友禅と並び三大友禅と称される東京友禅。

作り手インタビュー

小倉染芸 伝統工芸士
小倉 隆さん

小倉染芸 伝統工芸士 小倉 隆さん

新宿の地場産業として創業より90年あまりの歴史を持つ小倉染芸の小倉隆さんに
東京友禅のものづくりについてお話しを伺いました。

東京友禅について教えてください。

江戸の美意識を今に伝える友禅。

 「東京染め」というと、江戸小紋を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。東京染めは、江戸小紋と東京友禅の総称なんですよ。東京友禅のつくり方は、基本的に京友禅や加賀友禅と同じです。京友禅や加賀友禅と並んで三大友禅とも称されていますが、江戸小紋ほど知名度はないかも知れませんね。東京友禅は、昔から大きな問屋さんがなく、個人でやっているところが多いので、あまり知られていないのだと思います。

 東京友禅の歴史は1800年代、江戸時代の文化・文政の頃に遡ります。 当時、文化・経済共に栄えた江戸には、大名のお抱えの染師などが多く移り住み各種の技術が継承されたというのがルーツなんですね。その頃は、奢侈禁止令というのがあり、派手な色を使ってはいけないとか、華美な柄のものは着てはいけないなど、多くの制約がありました。ただ江戸の人々は、その制約の中で、表には見えない羽織の裏地で柄を楽しんだり、同系色で柄を描いてみたりと、おしゃれの表現力を磨いてきました。それが「江戸の粋」といった言葉にもつながります。こうした背景もあり、東京友禅の特徴は、色数が比較的少なくてシックなものと言われることが多いです。しかし、シックでなくてはいけないといった縛りは全くありませんので、作り手によって、それぞれの個性も違えば表現も様々なんですよ。
 うちの作風は、奢侈禁止令の流れをくんだ当時の色使いであったり、同系色のグラデーションで色柄を表現したりと、いわゆる「江戸らしい」ものが多いかと思います。

ものづくりでの「こだわり」は?

着る方が主役。着ることにより魅力が100になれば良いですね。
一言で表すならば「引き算の美学」でしょうか。

 決して着物が主役なのではなく、その着物を着た方が主役となるものづくりを心掛けています。お召しになられる方が素敵になるサポートが出来ればという気持ちを大切にしています。華美に色柄を足して着飾るようなものではなく、うちの着物が30だったとしても、お召しになることによって100になれば良いと思っています。
 また、言葉が適しているか分かりませんが、うちの着物はあくまでも「白飯」でいいと思っています。白飯は、肉にも合うし、魚にも合う、もちろん漬物にだって。しかも白飯自体がすごく美味しければ、まわりも更に引き立ちます。そういう存在でありたいと思っています。
 私たちの世界では「引き算の美学」という言い方をするのですが、このような、ものづくりを常に意識しています。

今は便利なデザインツールもありますが、私はいまだに手描きに拘っています。

 今では、各さんちでも図案や下絵の制作にはデジタルのデザインツールを使ったりしていますが、私はいまだに手描きで描くようにしています。例えば七宝の柄を10個描くとなれば、デジタルならばコピー&ペーストで楽に出来ます。一方、手描きの場合、間違えたらまた一から作り直さなくてはいけないし、同じように描くというのは結構時間もかかります。しかし、そこにはデジタルにはない手描きならではの「味わい」というものが宿ります。ですので、いまだ私は手で描くようにしています。

図案は全て手描きでつくられています。この図案の段階で、配色など染め上がりのイメージは頭の中にあります。

図案は全て手描きでつくられています。この図案の段階で、配色など染め上がりのイメージは頭の中にあります。

ものづくりで大変なことは何ですか?

ゼロからデザインを生み出すのは大変ですね。

 東京友禅の柄モチーフに決まり事というものはないんですよね。例えば加賀友禅であれば、植物を写実的に描いたり、京友禅であれば、昔から親しまれている古典文様を用いたりしますが、東京友禅は、デザインをする模様師次第です。デザインをゼロから生み出すのは本当に大変です。私の場合は、日常であったり、出かけた先で目に留まった風景や文化などから着想を得たりしています。
 散歩しながら目にとまった植物をスケッチしたり、息子と動物園に行ってスケッチしたりしますが、私のスケッチは写実的なものではなく、図案化されたものが多いですね。ですので目に見えるものだけでなく、その奥にある精神性みたいなものを切り取って描写することもします。以前沖縄に行ったとき、お墓が大きいことに驚きました。聞いたら、沖縄では、先祖が集まる場所だから、そこでお酒を飲みながら過ごすこともあるそうです。そうした精神性というものは面白いな~と思い、そこからインスパイアされたデザインをおこしてみたりしました。また、ヨーロッパは面白かったですね。スペインなどは、アフリカやイスラム、ヨーロッパの文化が、時代により混じり合っていて、独特な様式を生み出しています。そういったものからも着想を得て、デザインを生み出しています。

沖縄で描いたデッサン。先祖とつながっている沖縄の墳墓をみて、同じ一つの土に根を張り、そこから様々な花が芽吹いているイメージで図案をつくったそう。

沖縄で描いたデッサン。先祖とつながっている沖縄の墳墓をみて、同じ一つの土に根を張り、そこから様々な花が芽吹いているイメージで図案をつくったそう。

色は生もの。時間が経つと変わってしまいます。

 染料は生ものです。作った染料は色が変わらないようにカバーをしたりしますが、どうしても時間が経つと変わってしまいます。着物の場合は、仕立てて柄合わせをしたりしますので、柄の合う部分が微妙に違う色だったりすると駄目です。作業をしている間は、ほんとにちょっとづつ色が変わってくるのでまず気づきません。ですので、何時間毎かに必ずチェックすることが必要なんですよ。

 また、配色のバランスというものはとても大切です。色の組み合わせが変わるだけで、野暮ったい印象になったりすることもあります。友禅の技術自体は、学校でも学べるし、身につけることは出来ますが、この配色のバランス・色の使い方というのは、誰もが出来るわけではない、プロフェッショナルの仕事だと思っています。ちなみに、うちは「朱」色の使い方が特に評価されています。

とくにエアコンをつけていると色が変わりやすいと言います。使わない時はカバーをかけておきます。

とくにエアコンをつけていると色が変わりやすいと言います。使わない時はカバーをかけておきます。

配色のバランスを試しながら、色を決めていきます。この色の使い方が、アマチュアとプロの仕事の違いといいます。

配色のバランスを試しながら、色を決めていきます。この色の使い方が、アマチュアとプロの仕事の違いといいます。

配色を決めたら、手描きで色を挿していきます。

配色を決めたら、手描きで色を挿していきます。

小倉染芸の色と高く評価されている「朱」の色使い。

小倉染芸の色と高く評価されている「朱」の色使い。

ものづくりで大切にしていることは何ですか?

丁寧さを大切にしています。そして、道具を大切につかうこと。

 忙しかったり時間が無かったりすると、どうしても雑になったりすることは、一般的によくあることだと思います。私は、どんな時であっても、丁寧さを忘れずにものづくりをすることを大切にしています。
 また、道具も大事に丁寧に使うことが大切だと考えています。筆一本にしても、良いものがどんどんなくなってしまったりします。ですので、筆の手入れ・道具の手入れは重要な仕事なんですよ。

筆も用途や色によって様々な種類があります。質の良い筆も年々入手困難になってきているといいます。

筆も用途や色によって様々な種類があります。質の良い筆も年々入手困難になってきているといいます。

昭和30年代~40年代の染料。今でも大切に使っています。

昭和30年代~40年代の染料。今でも大切に使っています。