さんちつくりべ 金田染工場

金田染工場 ―東京染小紋―

東京 新宿下落合・東所沢

金田染工場 ―東京染小紋―

 金田染工場さんは、戦後まもなくの1949年(昭和24年)、東京都新宿区下落合の神田川沿いにて創業しました。神田川沿いには古くより数多くの染め工房があり、東京の染色文化の中心地でもあります。毎年2月末の週末には、神田川の支流である妙正寺川が流れる新宿の中井・落合地区で、「染の小道」と言われるイベントも開催され、川面には色とりどりの反物が架けられます。金田染工場さんは、下落合に事務所をおき、昭和43年に、実際にものづくりをする工場を東所沢に移転し、柄付け・染め・洗い・蒸しなどすべての工程の設備が整った「染工房かねだ」にて、全て一貫作業でものづくりを行っています。

かつて神田川の水で染め物を水洗いしていた光景を思い起こさせる新宿の中井・落合地区の「染の小道」

かつて神田川の水で染め物を水洗いしていた光景を思い起こさせる新宿の中井・落合地区の「染の小道」

井の頭公園にある井の頭池に源を発し、都心の真ん中を流れる神田川。春になると川沿いの桜が咲き誇ります。

井の頭公園にある井の頭池に源を発し、都心の真ん中を流れる神田川。春になると川沿いの桜が咲き誇ります。

全工程の設備が揃う、東所沢の「染工房かねだ」昭和43年ころから、この地でものづくりをしています。

全工程の設備が揃う、東所沢の「染工房かねだ」
昭和43年ころから、この地でものづくりをしています。

13mの反物が綺麗に張られている柄付け・染めの作業場を「板場」と呼びます。

13mの反物が綺麗に張られている柄付け・染めの作業場を「板場」と呼びます。

工房独自の色を産み出す色づくりの作業場を「色場」といいます。夏場は40℃以上にもなるそうです。

工房独自の色を産み出す色づくりの作業場を「色場」といいます。夏場は40℃以上にもなるそうです。

やまととは昭和40年代頃からのお付き合い。当時の反物の端に染められるオリジナルの型紙。

やまととは昭和40年代頃からのお付き合い。
当時の反物の端に染められるオリジナルの型紙。

作り手インタビュー

金田染工場 社長・伝統工芸士
金田朝政さん

金田染工場 社長・伝統工芸士 金田朝政さん

金田染工場の3代目、そして伝統工芸士でもある金田朝政さん。
全ての工程の設備が整った東所沢の工房にて、東京染のものづくりについて、お話しを伺いました。

この仕事に就いたきっかけは?

「祖父から親父と続けてきたこの伝統をなんとか続けたい」と思い始めました。

 祖父が創業してから私で三代目になります。当初は、この家業を継ぐことは考えていませんでしたが、きっと、そのレールには乗せられていたんでしょうね。普通に就職活動して内定をもらって、いよいよ就職となる3カ月前の1月に、祖父が倒れてしまいました。病院に行ったときには話は出来なかったのですが、親戚たちから、「この仕事をやって欲しいって言っていたぞ」との話を聞き、その辺から揺らぎ始めました。親父からは、継いで欲しいとはひとことも言われませんでしたし、1年は外で飯を食ってこいと、家を出されましたので、外の会社でサラリーマンを1年経験しました。その後、家に戻り家業を手伝うようになりましたが、学生のころから家の仕事を手伝うことはあったので、すぐに馴染みました。

 ただ、継いでからが大変でしたね。家に戻ってから6年くらいで、師匠である親父までもが倒れましたので、とにかくがむしゃらでした。他の工場に頭を下げて教えてもらいに行ったりしました。昔の職人の世界では、自分の工房以外に技を見せてくれることなど、まずありませんでしたが、「親父さんには世話になったから、うちでよければ見ていきなよ」と受け入れてくれたことには感謝しかありません。そしてまた、こうした横の繋がりをつくってくれる組合(東京都染色工業協同組合)のありがたさを感じました。

 こうした経験をしましたので、私も自分より下の後継者さんには、自分がどんなに大変でも、出来る限りのことはしたいと思っています。私もさんざん先輩方にお世話になりましたので。

ものづくりでの「こだわり」は?

難しい仕事をやり続けなくては、高い技術は保てない。

 うちは、難しい柄を中心とした「きもの・帯・長襦袢」づくりに拘っており、それ以外のものはつくりません。帯揚げや小物などのニーズもあるにはあるのですが、13mの板場で染め上げる高度な技術でものづくりを続けることに拘っています。その技術力は他にも負けたくないと思ってやってます。

 うちの工房が得意とするものは、主に細かい柄のものですね。それを綺麗に染められるかどうか、の技術力。そこが優れていると自負しています。

高度な技術を要する繊細な柄裄き。

高度な技術を要する繊細な柄裄き。

非常に細かい柄の江戸小紋。

非常に細かい柄の江戸小紋。

柄の「白」を最後の最後まで汚さずに、きれいな「白」を大切にしたい。

 私たちのさんちでは「白目」と呼びますが、防染した糊を落として白く残った、白生地本来の白を大切にしています。白というのは、一番格の高い色だとも言われます。染めの世界では、胡粉という染料をつかって白く染めることはありますが、江戸小紋の柄の白は、お蚕さんの繭の漂白された自然の「白」こそが白なんです。きれいに防染して、最後の最後まで汚さずに、どれだけ白地を綺麗に残せるか、それを一番重んじているのが東京の染めだと思っています。

 沖縄の紅型でも、白生地本来の色をあえて残して染織されます。沖縄のさんちを訪れた際、ものづくりの考え方などが似ているな、と感じて、工房を見せていただいたときはすごく楽しかったです。向こうは仕事のテンポが比較的ゆっくり、ぼくらはすごくせっかちだね、僕らに足りないのは、沖縄の人たちのような笑顔かな?(笑)などと、同じ東京染の仲間とも話したのを覚えています。

柄となる部分に伏せた防染糊を落とすと、染まっていない白生地の白が浮かび上がります。江戸小紋では、裏面を染め上げることで、その色がうっすらと映り、柔らかい白色になります。

柄となる部分に伏せた防染糊を落とすと、染まっていない白生地の白が浮かび上がります。
江戸小紋では、裏面を染め上げることで、その色がうっすらと映り、柔らかい白色になります。

江戸小紋の魅力とは?

着る人を美しく引き立ててくれる着物だと思います。

 私がまだ中学生の頃、新宿が近所でしたから、ショーウィンドウにならんでいる着物を見て、他のさんちの着物はこんなにも華やかなのに、なんでうちの着物は、こんなに地味なんだろうって思って、祖父に尋ねたことがありました。その頃は、江戸小紋の魅力はあまり分かりませんでしたが、言われたことは、「東京の着物は、着たときにその人を隠して綺麗に着飾る華やかな着物ではなく、着る人の魅力を活かして、引き立ててくれる着物なんだよ。」ということでした。今でも、その言葉が、ものづくりのベースとなっています。もちろん、お召しになる方の志向もありますので、江戸小紋が絶対とは思っていませんが、豪華さや華やかさというものは、あまり求めていないですね。

染めの工程で大変なことは何ですか?

糊や染料は生もの。目で見ても最終的な染め上がりが分からない一発勝負。

 東京染では、他さんちの友禅のような引染めではなく、染料を混ぜてつくる色糊をつかって地色を染める「しごき染め」という手法で染め上げます。引染めの場合は、目で見ながら、染めた色の確認ができますけど、染料を混ぜた色糊は、ほぼ黒色で、実際にしごき染めをした後、蒸して発色させないと、最終的な色が分かりません。ですので、一発勝負の染めなんです。
 東京染め独特の「しごき染め」は、およそ50年くらい前までは、他のさんち同様に、東京染でも「引染め」で地染めを行っていましたが、引染めだと、どうしても防染のために糊付けした糊がふやけてしまい、細かい点がボケてしまうんですよね。それで、染料を糊に混ぜた色糊で染める、東京染め独特の「しごき染め」になったと言われています。
 また、染め上がりは、その日の湿度・乾かす時間・糊の厚みでも変わってきます。均一にしごき染めをしなくては、色ムラになってしまいます。色糊の厚みはおよそ0.8mmくらいで均一に染めていきます。

染料を糊に混ぜて作る色糊。見た目はほぼ黒ですが、染め上がりは、綺麗な鶯色に。

染料を糊に混ぜて作る色糊。見た目はほぼ黒ですが、染め上がりは、綺麗な鶯色に。

均一に色糊を大ヘラで伸ばしていく「しごき染め」。蒸したときに糊の中にある染料が生地に浸透して染まり上がります。

均一に色糊を大ヘラで伸ばしていく「しごき染め」。蒸したときに糊の中にある染料が生地に浸透して染まり上がります。

力加減が非常に難しい「しごき染め」

やまとオリジナルのものづくりに携わってみていかがでしたか?

新しいエッセンスが加わることで、これからの新しいものづくりに繋がる。

 私たち東京染のさんちは、良くも悪くも、その工場の色っていうものがどうしても固まってしまうことがあります。その色合いを見ると、あ、どこどこの工房のものかななんてわかってしまうこともあります。江戸小紋の場合、例えば鮫小紋といった古典の柄だとどこの工房でもやっていますよね。ですから私たちは、色合いで、その工場の特色を見ているんです。
 コラボレーションすることで、私たち自身では思いつかない色のオーダーなどがあると、使う色の巾が広がっていきます。こうしたコラボレーションを通して新しいエッセンスが加わることで、私たちにとっても、これからの新しいものづくりに繋がっていくのは、大変喜ばしいことだと思っています。

きものやまとと、金田染工場さんがコラボレーションして創作したオリジナルの江戸小紋

きものやまとと、金田染工場さんがコラボレーションして創作したオリジナルの江戸小紋

作り手インタビュー

色場 松田玲奈さん

色場 松田玲奈さん

金田染工場に勤めて8年。元はアパレルの販売員だったという経歴を持つ、色場(色づくりを行う場所)の職人さん、松田玲奈さんにお話しを伺いました。

この仕事に就いたきっかけを教えてください。

職人さんの「手仕事」に憧れて、この世界に飛び込みました。

 元々は、アパレルの世界で、オートクチュールとか、一点ものの手作りの洋服などに携わりたいと思い、フランスにも留学していました。フランスは、職人をとても大切にしているお国柄で、国を挙げて支援してくれていますが、日本で「手作り」のものをつくって生計を立てていくのは厳しいですね。本当の意味での「手作り」に拘ったものづくりの仕事というのは、アパレルの世界にはなかなか無く、こうした伝統工芸くらいしかありませんでした。そんな折、たまたまテレビで東京都が手掛けている「職人塾」という存在を知り、そこに参加し、体験させてもらいました。それがきっかけで今の仕事に就いています。

この仕事に就いた楽しさは何ですか?

見た目と全然違う色が出るので、ワクワクしますね。
また、実際にお召しになられた方を見たときは感動しましたね。

 東京染では、染料を糊に混ぜ合わせた色糊で地染めをします。色糊は見た目はほとんど黒っぽい感じになりますが、実際に地染めをした後、蒸して、色が綺麗に上がってきたときは楽しいですね。その瞬間はいつもワクワクします。
 また、自分たちがつくったものは、いわゆる「反物」としての形でしか見ていませんが、実際に着物の形となって、お召しになられている姿を目にしたときは、当たり前ではありますが、とにかく感動しましたね。

色糊の見た目はほぼ黒なので、染め上がりのカラーチップを、色糊の入った桶に貼っておきます。

色糊の見た目はほぼ黒なので、染め上がりのカラーチップを、色糊の入った桶に貼っておきます。

色見本帳。その日の天候や染める時間などで色が変化する為、100%再現することは出来ません。

色見本帳。その日の天候や染める時間などで色が変化する為、100%再現することは出来ません。

色づくりの大変さは?

色は生もの。鮮度というのがあります。また、とにかく体力が必要ですね。

 色糊は、糊に染料を混ぜて作られますが、寿命は非常に短いです。1日~2日経ってしまうと、色が落ちてきてしまうため、思った色表現が出来ません。色をつくったら、その日か、すぐ次の日くらいには使い切るようにしています。
 また、この作業を行う「色場」は、夏場ともなると40℃くらいにもなります。そんな環境下で、染料を入れた糊をずっと攪拌したり、糊のダマが無いように、木綿の布を使って濾したりと、結構な体力を使います。

夏場には40℃にもなる色場で、糊を攪拌する。

夏場には40℃にもなる色場で、糊を攪拌する。

糊のダマや不純物を取り除く為、木綿の布で濾す。

糊のダマや不純物を取り除く為、木綿の布で濾す。