瀬戸内のちょうど中ほどに位置していた児島は、その昔、四国や西国との交通上の重要拠点として栄えました。
児島の雨が少なく温暖な気候は、綿栽培にも適しており、児島周辺では、綿が栽培されてきました。当時、三河木綿に並ぶ綿織物として「児島の綿」は評価されていたそうです。
大正~昭和には、世の中は洋装へと移り、児島では「学生服」の生産が、足踏みミシンの導入とともに発展し、国内でも史上最高の生産記録を樹立しました。
戦後、米軍の「ジーンズ」が、児島の職人たちの目に留まり、「児島で培ってきた、裁断・縫製技術を最大限に生かし、国産のジーンズがつくれないだろうか?」との想いで、国産ジーンズが生まれ、「国産ジーンズの発祥地」として、岡山県倉敷市児島地区は有名になったのです。